
※画像はイメージです
谷岡ヤスジ【ヤスジのメッタメタガキ道講座】
我々世代で「ギャグマンガ」といえば「赤塚不二夫」だったんじゃないでしょうかね~。
私も改めて読んでみたいと思っていますけども。
ただ、当時の私はもっと破壊的なギャグが好きだったんですよね(笑)。
だから、永井豪さんのギャグマンガが大好きでしたね~。
そんな中で、やっぱり一世を風靡してた
谷岡ヤスジさんのマンガ。

結構好きでしたね~。
まあ~時代的なものが大きくあるんでしょうけど、いわゆる反体制かつエログロ・ナンセンスの極みってとこだったんでしょうかね~。
もう~なにがなんだかわけがわからないマンガで、楽しかったなあ(笑)。
「アサー!」って叫ぶだけのムジ鳥とか、キャラクターがインパクトありましたね~。
1970年から71年にかけて、『ヤスジのメッタメタガキ道講座』というのが週刊少年マガジンに載っていて、そのキャラだったようですね。

崩してるけど、絵もうまいですよね。で、どこか知的でスタイリッシュなものさえ感じます。
谷岡ヤスジ【ヤスジのド忠犬ハジ公】
その後、1980年代に週刊ヤングジャンプで『ヤスジのド忠犬ハジ公』が連載されて、結構気に入って読んでた記憶がありますね~。
この頃になると、なんつーか、下品でナンセンスなんだけど、どこか心の琴線に触れるというか、そんな感じのギャグになってたんじゃないかな~。
Wikipediaに
不条理なストーリー展開やドライな印象のギャグが特徴だが、その背景に哲学や思想を感じさせると評する者もある。
作風はエログロナンセンスであっても、谷岡の作品の底流に流れているのは常に人類に対する深い愛情であったと見る向きもある。
とありますが、わかる気がしますね~。
【谷岡ヤスジ】どんな人だったのか?
そういう漫画をお描きになってた谷岡ヤスジさんとは、いったいどんな人だったのか?
谷岡プロのサイトによると・・・
谷岡ヤスジ
1942年8月29日愛媛県宇和島市生。 本名・谷岡泰次(やすつぐ)
赤塚不二夫と並び、日本ギャグマンガ界の巨匠と云われるマンガ家。
1970年、週刊少年マガジンに連載した「ヤスジのメッタメタガキ道講座』で大ブレイク。
以後、強烈なキャラクターとストーリーとセリフで、独自の谷岡ワールドを展開。1999年6月14日、逝去。
Wikipediaによると、なんでも、山内一豊の末裔であると自称なさってらしたとか。
高校生時代に漫画家としてデビューし、その後、漫画家わちさんぺいさんのアシスタントを経て、本格的に活動を開始したそうです。
お父上から、「おまえは天才だ」といわれていたそうで。
・・・ただ、谷岡さんの思想的バックグラウンドまでは、詳らかではないですねえ。
でも、たしかに天才だったんじゃないでしょうかね。
1999年に咽頭ガンのため満56歳で死去されたそうです。(合掌)
ぜひ、また読んでみたいな~と思いますよ~。
谷岡プロの公式サイトもありますから、ぜひご覧になってみてください。
「鼻血ブー」かも(笑)♪

というワケで、【谷岡ヤスジ】さんの漫画のお話でした!
谷岡ヤスジさんの唄う「ヤスジのオラオラ節」を貼っときますねhttps://t.co/quiBZP5kdU
— おげまる(単なる珍曲好き・メタルも好き) (@ogemaru) July 6, 2022
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