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【少年マガジン】が人気ダントツだった昭和漫画雑誌!
昭和の週刊少年漫画雑誌といえば、私が子ども時代読み始めた頃は、
少年マガジン
が人気ダントツ雑誌でしたね。
次いで、少年サンデー。
次が少年ジャンプ、少年チャンピオン、そして少年キングっていう感じだったんじゃないかと思いますね、「読まれてる」順としては。
あくまでも、私が読み始めた当時の話ですけど。
少年ジャンプは一番後発雑誌だったらしいですが、当時も一番あとだったとは想像してませんでした。
永井豪『ハレンチ学園』、本宮ひろ志『男一匹ガキ大将』など、すでにいくつもの人気作品がジャンプにはありましたからね。

少年マガジンの弟分として「ぼくらマガジン」もありましたね。
少年マガジンに統合される形で「ぼくらマガジン」はなくなって、永井豪さんの『魔王ダンテ』なんかは、肝心の「神との対決」を残して未完になったんですよね。
まあ、それが作品は別ですけど、名作の誉れ高い『デビルマン』へとつながったわけですけどね。
あの石森(石ノ森)章太郎さんの(原作版)『仮面ライダー』も、「ぼくらマガジン」に載った作品だったんですよね。
『仮面ライダー』の原作漫画がテレビ化されたというよりも、テレビの企画のいわゆるコミカライズ作品だったということのようですが。

年齢的に、「ぼくらマガジン」の当時の記憶はほぼないです~。
昭和の【少年マガジン】は、大人っぽかった!
私の場合、当時うちに下宿していた叔父さんが、漫画好きで。
よく買ってきてくれてたんですよね~漫画雑誌を。
で、私にも読ませてくれて。
昭和の当時、100円だったと思いますね、上記のどの雑誌も。

私の印象をいえば、「少年マガジン」はとにかく大人っぽいというか。
横尾忠則さんが表紙デザインをてがけてたり(下のツイッター画像)。
『巨人の星』(原作:梶原一騎・作画:川崎のぼる)や『あしたのジョー』(原作:高森朝雄=梶原一騎・作画:ちばてつや)の時代ですからね。
現実路線というか。
— タメゴロー(恒点観測員341号) (@tamegoro_showa) February 7, 2021
昭和当時の学生運動で、「われわれは、あしたのジョーである」みたいな声明が出されたりとか、大学生もが読む雑誌になってたのが少年マガジンで。
大学生は「右手に(朝日)ジャーナル、左手にマガジン」ともいわれたくらいだったんですよねえ。
今は不思議でもなんでもないことですけども、「子どもが読むもの」だった漫画を大学生が読む時代になったっていうのは、昭和の当時はアッと驚くタメゴローだったわけですよ。

昭和当時、「インテリ」と目された大学生が読むくらい、漫画のドラマ性も上がったわけですね。
【デビルマン】など永井豪作品にハマった!
昭和の少年マガジンの現実路線は、当時の少年マガジン編集部(内田勝編集長、宮原照夫編集長)の方針だったようですね~。
そんな現実路線の「少年マガジン」でしたが、私はもっとファンタジー系が好きだったんですよね。
特撮少年でしたし。
なので、私のお気に入りは永井豪さんでしたね。
少年マガジンの『デビルマン』に夢中になりましたよ~。
あとは、『空手バカ一代』ですね~。

ブルース・リー映画以来、当時の昭和の「空手ブーム」の波をもろにかぶったんで。
『空手バカ一代』は、『巨人の星』『あしたのジョー』と同じく梶原一騎さん原作ですけど、これは今思えば、多分にファンタジー系だったかな、と。
一応、「実話」と謳われてたんですけどもね。^^;
考えれてみれば、空手修行による「超人追及」っていうテーマは多分にファンタジーですよね。
ただ、現実に「超人追及」をやってしまった大山倍達という人は、すごいと思いますけどね。
ただまあ、『デビルマン』も最後は極めつけにエグい、いわば「現実以上の現実」につながっていきましたけどねえ。^^;
当時、永井豪さんはサンデー(あにまるケダマン→ドロロンえん魔くん)にもジャンプ(ハレンチ学園→マジンガーZ)にもチャンピオン(あばしり一家→キューティーハニー)にも連載してましたからね。

私の場合、永井豪作品読みたさに、それぞれの少年漫画雑誌を読むようになったようなものでしたね~。

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