
※画像はイメージです
【プラッシー】武田薬品製で、お米屋さんが配達した昭和飲料!
昭和の懐かしい飲み物といえば、いろいろありますけど、まず
「プラッシー」
が思い浮かびますよね!(キッパリ)
これは、種類的にはオレンジジュースってことになるんでしょうけどね~。

武田薬品が製造販売だったことと、お米屋さんが届けてくれるってとこがミソでした。
「タケダのプラッシー」ってことで、製薬会社とお米屋さんとオレンジジュースってとこが、意表をついていた感じでしたね~。
そういう販売経路を思いつくってのは、見事ですよねえ。
ケロリン桶、ハトヤホテル、文明堂・・・と、昭和の企業家列伝(文明堂さんは明治か)は興味深いです~。



武田薬品といえば、われわれ昭和世代が子どもの当時、『タケダ・アワー』と呼ばれるTBSテレビ日曜夜7時からのスポンサー枠があって、古くは『月光仮面』からはじまり、『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』といった『ウルトラシリーズ』など人気特撮番組もそこで放映されてましたからね~。
「ダケダ タケダ タケダ~♪」
というオープニングがはじまると、もうわれわれ昭和男子たちはテレビの前に釘付けでしたよね!
なので、「プラッシー」も、CMとともにわれわれの脳裏に刻み付けられたかもです~。
「プラッシー」は、なんでも、みかん果汁入り飲料にビタミンCをプラスしたっていうことで、そのへんが製薬会社なればこそだったのかな~と。
名前も、ビタミンCをプラスしたから「プラッシー」なんですねえ。
知りませんでした。

なにげに昭和のシンプルなネーミングって、イイんですよね♪
【プラッシー】は、なぜ「お米屋さん」だったのか?
お米屋さんが配達してくれた昭和飲料「プラッシー」。
お米屋さんだったのは、当初販売経路がなくって、主食のお米に加えて、不足しがちな栄養を補ってもらおうということで、お米屋さんに経路を絞ったそうです。
今でいえばサプリメントみたいな発想だったんですねえ。

当時はどこの家庭もお米を配達してもらってましたから、目の付け所がよかったんじゃないですかね~。
「お届けします、プラッシー」っていうキャッチフレーズだったみたいですが、みなさんは覚えてますか?
「お届けします」といわれても、当時の家庭では、そうそうみんながとってたわけじゃなくて、われわれ昭和世代にとっては、いわば「憧れの飲み物」でしたよね~。
私は、親戚の家に遊びに行ったとき、そこではじめて飲んだんですよね。
で、うまかったんですよ、これが。^^
それから母親に頼んで、家でも取るようになったんですが、短期間だけに終わりましたね。
たぶん、家計が嵩むからだったんじゃないかな~。^^;
当ツイッターのフォロワーさんから・・・

家が米屋で、子どもの頃プラッシーしか飲ませてもらえませんでした。コーラとか飲みたかったのに・・・。
あれまあ。^^;
われわれ昭和世代には、プラッシーは憧れの飲み物だったとはいえ、それもキツい話ですねえ。
他のある方は、「プラッシーが飲みたい」とお母様にねだったところ・・・

お米屋さんに入ると、噛みつかれるからダメ!
といわれ、「なんて怖いとこなんだろう」と思ってあきらめたとか。
お母様は、当時のプロレスの「噛みつき魔フレッド・ブラッシー」にかけたようです・・・

母親に騙されたこと、一生忘れません・・・。
とおっしゃっています。^^;
とまあ、われわれ世代には悲喜こもごもの、懐かしの昭和飲料「プラッシー」。
今も武田食品工業を前身とするハウスウェルネスフーズが販売してるのは、嬉しい限りですね!
今は、「水分補給ゼリー」バージョンもあるようですぜ、ダンナ。↓↓↓
また「プラッシー」飲んでみたいものです~♪

というワケで、懐かしの「プラッシー」のお話でした! 次回もまた、モア・ベターよ♪
【付記】プラッシーのノベルティ写真をシェアしていただきました。↓↓↓
タケダの「プラッシー」のノベルティです。
(蓋にPLUSSYの文字が入っているだけです)何十年前か忘れましたが実家の近所の米屋さんからいただきました。
私は後が短いので 使わないでおくのは勿体ないと思い、水を入れ冷蔵庫で冷やして重宝しております。 pic.twitter.com/KswUPfvr0X
— ガラダマ (@HxzZbuUlivvHjIy) February 2, 2021
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