声優・広川太一郎さんの深夜ラジオ【男たちの夜・・・かな!?】
まあ、ランダムに取り上げていきましょうかねえ。
『男たちの夜・・・かな!?』
は、ラジオ関東(今はアール・エフ・ラジオ日本っていうらしい)で放送されてた深夜ラジオ番組なんですよね。
今はどうなのかわからないですが、昭和の当時(1970~80年代)は、ラジオの深夜放送がブームでしたよね~。
「深夜放送を聴かずば、”ヤング”(若者のこと)にあらず」みたいな風潮さえあったような。
で、やっぱりこれが、聴きたくなるわけですよね~、深夜放送を。
レッド・ツェッペリンの「天国への階段」ならぬ、「ヤングへの階段」を上りたくなるというか。
私の場合は、この『男たちの夜・・・かな!?』、通称「夜かな」が好きで、ほぼ毎週聴いてました。
パーソナリティーが、声優の故・広川太一郎さんでした~。
野沢那智さんと白石冬美さんの、金曜日の『パックインミュージック』とともに毎回聴いてたのが『男たちの夜・・・かな!?』だったですね。
たしか、ラジオをいじくってたら、聞き覚えのある広川さんの声が入ってきて、そこから聴き始めたように思います。
なにしろ、当時はネットがなくて情報が少なかったですからね~。
【謎の円盤UFO・600万ドルの男・古代守】の広川さんが!
広川太一郎さんの声っていえば、洋画や洋物TV番組やアニメで、当時はおなじみでしたからね。
私にとっては、特に『謎の円盤UFO』のストレイカー司令官(演:エド・ビショップ)、はたまた『600万ドルの男』のスティーブ・オースティン(演:リー・メジャーズ)役で聴き惚れたのが、広川さんの声でした~。
『宇宙戦艦ヤマト』(1974)では主人公・古代進の兄、古代守の声を担当されていて。
登場回数は少なかったけど、やっぱりあの声は印象的でしたね~。
その広川さんの声がラジオから聞こえてきて、
「お、広川さんだ」
ってすぐわかったんだと思います。
当時、私はたしか中学生ですね。
とにかく広川太一郎さんのお声がいい。
中身は残念ながら結構忘れてるけど、広川さんの声にいつも聴き惚れてた感じですかね~。
今も、広川さんの「男たちの夜・・・かな!?」のタイトル・コールが耳に残ってますねえ。
「男たちの夜・・・」までは、いつものいい声で、「かな!?」のところで突然剽軽な口調になって、
「かなーーーーーーーっ!?」
なんて思いっきり伸ばしたりもしてましたね。^^
私が聴いてた頃は、アシスタントを立花里香さんという方がやってらして。
立花さん、可愛い声でしたね~♪
広川太一郎【男たちの夜…かな!?】の「宇宙戦艦ヤマト」特集
『男たちの夜・・・かな!?』は、Wikipediaによると、1973年から81年まで続いた番組なんですね。
私が聴き始めたのは、たぶん76~77年くらいじゃないかなあ。
そうそう、火曜深夜1時~5時の放送だったんですね。
もともとはカントリーミュージックを紹介する番組で、パーソナリティーも、広川さんだけじゃなかったようで。
その時代は私は知らないですけども。
ハッキリ覚えてるのは、「今日は(宇宙)戦艦ヤマト、やりますからね」と広川さんがおっしゃって、いきなり『宇宙戦艦ヤマト(もちろん、1974年の)』特集がはじまって。
ヤマトのプロデューサーの西崎義展氏がゲストでしたね~。
前もって『男たちの夜・・・かな!?』の番組内で予告されてたのを、私が聴き逃してたんですね。
ちょうど、『宇宙戦艦ヤマト』のサントラLPレコード(↓↓↓)が出る直前で、それが番組内でフィーチャーされたんですよね。
宇宙戦艦ヤマト テレビ・映画オリジナル・サウンドトラック盤 [SOUNDTRACK サウンドトラック][12″ Analog LP Record]
『ヤマト』ファンでしたからね~、私は。
いきなりの特集に、そりゃ興奮しましたよ~。
なにしろ、当時はビデオもなく、作品の音や映像が手に入るってのはなかったんですよねえ。
先述のサントラLPに収録されてる「ヤマト」のドラマが番組内で放送されて、も~そりゃ感激しましたね。
慌ててカセット・テープに「エア・チェック」(タイヤじゃないですよ!)しましたよ~。
昭和のその頃は、『宇宙戦艦ヤマト』で火が付いたアニメ・ブーム、声優ブームの起こり始めでしたね。
そういえば、宇宙戦艦ヤマトの4時間生放送ラジオドラマで、広川さんがナレーターを務められてましたねえ。
自費番組だった【夜かな】:声優・広川太一郎さんの気骨
広川太一郎さんはすごく気骨のある方でしたね~。
人気番組にもかかわらず、『男たちの夜・・・かな!?』のスポンサーが降りちゃうってことがあって、それなら自分がスポンサーになる、ということで、自費で番組を存続させた経緯がありました。
今思うと、それってすごいことだよなあ、と思えますね。
あと、ある時期に、広川さんがリスナーからのお便りを読まれて、がんばれ!みたいな励ましの意味で、
「ねっけーつ!(熱血)」
って言葉を添えてたんですね。
わざわざエコーがかかって。(笑)
リスナーからも、
「今こういうことで落ち込んでます。広川さん、『熱血』をお願いします!」
みたいなお便りが多くなっていって、広川さんの「ねっけーつ!」もエコーのかかり方までエスカレートしていったんです。^^;
そしたらある日の放送で、
「みんな僕に『ねっけーつ!』って言ってもらえばすむと思ってるんじゃないの?」
みたいなことをおっしゃって。
それは違うでしょ、と。
そんなのただの気休めだよ、というわけなんですね。
要するに、「ねっけーつ!」だけが、ある意味ファッション化して、一人歩きし始めたことに苦言を呈されたということでしょうかねえ。
それ以来、あんまりやんなくなっちゃったんですよね。^^;
私も広川さんの「ねっけーつ!」を楽しみにしてたから、ちょっとガッカリだったけど、広川さんのいわれることもわかるなあ、と。
「ウケればいい」っていうスタンスじゃなかったですよね~、広川さんは。
【男たち祭り】もあった、広川太一郎『男たちの夜…かな!?』
そういう諸々も含めて、広川太一郎さんの『男たちの夜・・・かな!?』には、一人一人のリスナーやファンに真摯に向き合うスタンスが感じられましたねえ。
これは、野沢那智さんと白石冬美さんの『(金曜)バックインミュージック』(金パ)にも言えたと思います~。
私はまだコドモみたいなもんだったからよく知りませんけど、
「夜かな祭り」
みたいなイベントもおこなわれてたみたいだし、『男たちの夜・・・かな!?』の会報も出てたようですね。
参加者は、私より少し上の「ヤング」のお兄ちゃんお姉ちゃんたちだったんでしょうけどね。
今じゃ考えられない盛り上がり方じゃないのかな~と思いますねえ。
当時それは、広川さんの番組だけの話じゃないんでしょうけれど。
やはり、「昭和」という時代のなせるワザだったんでしょうか~。
私も楽しみにしていた『男たちの夜・・・かな!?』だったんですが、なにやら不穏な動きが出始めたんですよね~。
番組の曜日が変更になったり、時間が短くなったり。
Wikipediaによると、火曜日の深夜1時~5時だったのが、1979年に月曜深夜1時~3時に変更になったようですが、時間短縮は実に不満でしたねえ。
そうこうするうちに、番組終了、ということになって。
これもWikipediaによると、1981年。
私が浪人中の時ですね。
番組の人気は高かったのに、局側の方針だったみたいですけど。
ものすごく残念だったし、理不尽に感じましたね。
これは野沢さんと白石さんの『金パ』の終わり方と非常に似ていた気がします。
『男たちの夜・・・かな!?』に関しては、懐かしむファンの声がネットでも結構語られているようですから、検索してご覧になってみられたらいかがでしょう。
ちなみに、こちらも。↓↓↓↓↓
思い出に残る楽しい番組を届けてくださった広川さんに、改めて感謝です。
というわけで、広川太一郎さんの昭和深夜ラジオ番組『男たちの夜・・・かな!?』のお話でした。
次回もまた、モア・ベターよ♪
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