【8時だョ!全員集合&ドリフ大爆笑】は、昭和ならではのお笑い番組だった!

【昭和のお笑い】といえば、「ドリフ」!

前回「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」のお話をしましたけど、昭和のお笑いといえば、

ドリフ(ザ・ドリフターズ)

もはずせないですよね!

 

なんといっても、毎土曜夜8時からのドリフの生中継番組『8時だョ!全員集合』は、当時、絶大な人気がありました。

いいですね~、「だョ!」っていう表記が、いかにも昭和で。^^

 

タメゴロー
タメゴロー

ただ、私の場合、ドリフ自体は実はそんなに観てたわけじゃないんですよねえ。

 

シュール系の笑いがツボにはまるタイプなもんで、ドリフのお笑いは、どっちかっていうとかなり直球でしょ。

でもね~、今思い返すと、あれはあれでバカバカしくてよかったな~とも思いますね。

 

セットなんかも、かなり大がかりでしたよね。

やっぱり、あの昭和の時代だからできた、ぜいたくな作りの番組だったんじゃないでしょうか。

 

ネタとともに、ドリフのメンバーひとりひとり、キャラが立ってたっていうか。

それぞれが、いい立ち位置にいて、まとまってたってことでしょうかね。

なにか、安心してドリフの演じるおバカぶりを楽しめた感じがしました~。

 

リーダーだった、いかりや長介さんの采配によるところ大でしょうね~そのへんは。

いかりやさんの本『だめだこりゃ』を読むと、当時の様子がよくわかります。

 

 

いや~、毎週ナマであれだけの番組っていうのは、それはそれは、並大抵の苦労じゃなかったんだな~と改めてわかりましたねえ。

 

タメゴロー
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『だめだこりゃ』は私読みましたけど、おすすめです! 戦後日本の芸能史を知る上でも貴重じゃないでしょうかね~。

 

【ドリフ】の体を張った昭和コント!

ドリフ・アパートのネタなんかは定番で、バカバカしくてよかったですよね~。

最後にアパート全体が崩れる(傾く)んですよね。

大好きだなあ、ああいうの。^^

 

結構危ないことしてたんじゃないですかねえ、へたすると怪我するような。

そこはやっぱり、昭和の職人集団が裏で手腕を発揮してたんでしょうね~。

 

まあ~、とにかくパワフルな体を張ったコントっていう印象でしたねえ、ドリフは。

 

タメゴロー
タメゴロー

私も、友人の結婚式でドリフっぽい寸劇をやりました~。

 

最後は洗面器が新郎の頭に落ちるというオチで、会場が爆笑の渦。

当然、例の曲『盆回り』がかかって締めでした。

ただ、洗面器はクレージーキャッツのネタで、ドリフは金だらいだったみたいですね~。^^;

 

当ツイッターのフォロワーさんから・・・

 

ドリフアパートにパトカーが突っ込むコントが好きでした!

 

ありましたよねえ~。^^

パトカーが軒をジャンプするとか、バイクがステージを走り回るとか。

今なら絶対各方面の許可が下りないでしょうねえ。^^;

 

タメゴロー
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ほんとに、あの昭和時代ならではの「ドリフ」だったんじゃないでしょうか~。恵まれてましたねえ、われわれは。

 

【ドリフ】はミュージシャンのコミック・バンドがルーツ!

「8時だョ!全員集合」は1969~1985年、もう一方のドリフの看板番組「ドリフ大爆笑」が1977~1998年。

長らく親しまれてきたわけですねえ。

 

「意外と知られていないが」とあっちこっちで言われてるのが、ドリフはもともとミュージシャンであり、バンドだったということですね。

 

タメゴロー
タメゴロー

私もドリフと同年代のミュージシャンの人と話したとき、「いかりやさんのベースは、うまかったよ」とその人から聞きましたね。

 

その分野に関しては、クレージーキャッツという大先輩がいたわけですけどね。

いかりやさんもクレージーを大先輩として尊敬しておられたようです。

いかりや長介、荒井注、加藤茶、仲本工事、高木ブーという芸名は、クレージーのリーダー・ハナ肇さんに、酒席で酔った勢いでつけられてしまったそうです~。^^;

 

「音楽も笑いも一流のクレージーキャッツ」にたいして、いかりやさんご自身は、もともと「音楽は四流、笑いは素人」の集団がドリフだった、と先述の著書『だめだこりゃ』に書かれていますけど。

 

タメゴロー
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そもそもドリフは、いかりやさんが初代リーダーではなくて、もとからあったバンドにいかりやさんが加入したといういきさつがあるんですよね。

 

【ドリフ】面々は、急遽集められたメンバーだった!

で、徐々に演奏とコントをおこなうコミックバンドとしてドリフの人気が出だしていた頃、小野ヤスシさんらのメンバーが独立してコミックバンド「ドンキーカルテット」として活動することになって。

残ったいかりやさんは、急遽「ドリフターズ」のメンバーを集めざるを得なくなったんですね。

 

そこで集められたのが、われわれ昭和世代には馴染み深い

荒井注、加藤茶、仲本工事、高木ブーの面々だったわけです。

 

荒井さんに至っては、「ピアノが弾ける奴」ということでメンバーにしたのに、実はろくにピアノが弾けないことがあとからわかったそうで。

でも、いかりやさんはそれを逆手にとって、荒井さんを「ピアノが弾けないピアニスト」として笑いをとり、荒井さんも人気者に。

 

タメゴロー
タメゴロー

このへんの話、いかにも昭和で好きなんですよね~。いかりやさんのご著書『だめだこりゃ』に詳しく載ってます。

 

こうして新メンバーを迎えてスタートした、われわれ昭和世代がよく知る新生ドリフターズ

その後のカトチャン人気や、荒井さんが年齢を理由に脱退した後の志村けんさんのメンバー正式加入による人気沸騰ぶりは、みなさんの方がお詳しいでしょうね~。

 

当時は「俗悪番組」のように「良識派」から非難を浴びたドリフですけど、いかりやさんご本人たちは、さして気にもしてなかったそうです。

とにかく面白いものをつくろう、だけだったんじゃないですかね~。

 

このへんが、昭和のパワフルさという気がしますけども。

 

で、今になってみると、

「ドリフは面白かったよね」

ってみんなで話せるわけですからね。

 

いずれにしても、昭和のあの時代だからこその「ドリフ」だったし、ドリフは昭和のお笑いの金字塔じゃないですかね~。

頭ン中空っぽにしたいときに、ドリフのコントは最適じゃないでしょうか~。^^

こういうご時勢だからこそ楽しみたい昭和の笑いかもですね!

 

タメゴロー
タメゴロー

というワケで、懐かしの「ドリフ」のお話でした! 次回もまた、モア・ベターよ♪ 歯、磨けヨ!

 

 

【追記】志村けんさんは、2020年に鬼籍に入ってしまわれました。ご冥福をお祈りいたします。

 


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