【カルピス】は、昭和の定番飲料だった!
この【ビバ!昭和】ブログで人気の記事(ほんと)に、お米屋さんが届けてくれた昭和飲料『プラッシー』があるんですけどもね。
ほかにも、われわれ昭和キッズが、喉をゴキュゴキュ・・・「ぷっはぁ~うンめぇ。生きててヨカッタぁ」と思った昭和ドリンクは数々ありますよね。^^
カルピス
なんかも、その筆頭に挙げられるんじゃないでしょうか~。
当ツイッターのTLにも、カルピスさんのツイートが流れてきまして。
お、いいねえ😃 https://t.co/zWDwmhbxCm
— タメゴロー(恒点観測員341号) (@tamegoro_showa) July 19, 2021
いんじゃないですかね~カルピスでかき氷!
なんとまあタイムリーな! ←今、もう10月 ^^;
ん~カルピスといえば、ホットカルピスもオツなもんですしね~。←ちょっと苦し紛れ
いろいろ工夫次第で世界が広がるのが、昭和ドリンク・カルピスならでは、じゃあないでしょうか~。
とういうことで、アッシがひとっ走り行って(どこへ)、ダンナのために調べてきやしたぜ、カルピスのアレコレを。
【カルピス】の生みの親・三島海雲(かいうん)氏とは?
カルピスといえば、昭和時代にはご贈答品の定番でもありましたよね~。
昭和のご贈答といえば、文明堂のカステラか、はたまたカルピスか、だったかもしれません。
ふだんはスタンダードなプレーンタイプのカルピスだったものが、ご贈答セットに入っている、オレンジやグレープなどの各種カルピスに胸躍らせたわれわれ昭和キッズじゃなかったでしょうか~。^^
そのカルピスですが、発祥はどのような塩梅だったんでやんしょうかねえ。
な~んとなんと(広川太一郎風)、カルピスは、三島海雲さんという方がつくったっていうじゃあ~りませんか。
こちらの三島海雲さん、もともと教師をなさっておられたようですが、(中国)大陸に雄飛されたようでして、その後は実業家に転身されたようです。
1904年 – 日本軍部から軍馬調達の指名を受け、内蒙古(現内モンゴル自治区)に入り、ケシクテン(克什克騰)でジンギスカンの末裔、鮑 (ホウ)一族の元に滞在。酸乳に出会う。現地で体調を崩し、瀕死の状態にあったが、すすめられるままに酸乳を飲み続けたところ回復を果たしたという。海雲はのちに、「異郷の地で不老長寿の霊薬に出遭った思い」だったと記している。(Wikipedia 『三島海雲』)
なるほど~、それが三島さんと「乳酸」との出会いであり、のちに(1919年・大正8年)「世界初の乳酸菌飲料」としてカルピスを生み出すキッカケになったんですね~。
1962年には、学術支援のための三島海雲記念財団を私財を投じて設立なさっておられるそうです。
う~ん、実に興味深い人物ですねえ。
三島さんについては、山川 徹著『カルピスをつくった男 三島海雲』↓↓↓という本が出ているようで、私もぜひぜひ読んでみたい気がしてまいります(城達也風)。
【カルピス】の名前の由来は
ところで、そもそも「カルピス」という名前は、どのような由来があるのでしょうか?
アッシがひとっ走り行って(どこへ)調べておきやしたぜ、ダンナ。
カルピスは、「カルシウム」と「サルピス」からつくった造語だそうで。
ほかの候補もある中で、作曲家・山田耕筰さんの意見を取り入れて「カルピス」となったそうです。
サルピスとは、サンスクリット語で「熟酥(じゅくそ)」の意味とのこと。
お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いたという際の、スジャータの逸話にある「乳かゆ」を思わせますが、「酥」は、「古代のチーズ」として知られてますよね~。
ただ、「CALPIS」は、英語では「cow piss(牛のお〇っこ)」に聞こえてしまうため、米国では「CALPICO(カルピコ)」という名称で販売されているそうです。
たぶん、ピコ太郎は関係ないと思うんですよね。←ないよ
カルピス創業者の三島海雲さんは、もともと僧侶の家系で、ご自身も僧侶ご出身だったということです。
事業も、無私の精神で大衆に奉仕する大乗的なお考えでてがけられていたようですね。
サンスクリット語とは知りませんでした~。
【カルピス】の旧トレードマーク
カルピスについてもうひとつ「あっと驚くタメゴロー」だったのが、あの昭和時代のトレードマークです。
— タメゴロー(恒点観測員341号) (@tamegoro_showa) October 7, 2021
諸般の事情で現在は使われていないマークですが、こちらのマークは、オットー・デュンケルスビューラーというドイツのデザイナーさんがデザインしたものだったんですねえ。
もともと、カルピス創業者の三島海雲さんが、第一次世界大戦後のドイツで生活苦にあえぐ画家さんたちを援助するために催した「国際懸賞ポスター展」で3位に入賞したのがオットーさんだったそうで、以来(1923年・大正12年)、1989年(平成元年)まで使われていたマークだったそうです。
昭和世代には、こちらが馴染み深いのは事実ですね~。
【カルピスソーダ・カルピスウォーター】の登場
これは私だけの印象なのかもしれないんですが、私が学生になったころ、正直、「う~ん、いまさらカルピスでもないだろ」みたいな雰囲気があったように思うんですよね。
そんな折に登場してきたのが、「カルピスソーダ」だったように記憶しとります~。
当時、海原雄山ばりに「ふむ・・・カルピスソーダとな?」と重々しく手に取り飲んだところ・・・
美味い!
次の瞬間には、「ソーダ仕立てのカルピスとは、こいつはうっかりだ!」と、うっかり八兵衛ばりに感心してしまった次第です~。
薬師丸ひろ子さんの「白くはじける カルピスソーダ♪」のCMも手伝って、結構なブレイクだったんじゃないでしょうかね~。
— タメゴロー(恒点観測員341号) (@tamegoro_showa) October 7, 2021
その後、「カルピスウォーター」も登場し、今日も親しまれるに至ってるわけですねえ。
CMといえば、昭和のカルピスCMも、われわれには懐かしいですね。
「カルピス劇場」もありましたしね~。
— タメゴロー(恒点観測員341号) (@tamegoro_showa) October 7, 2021
子どもの笑顔をフィーチャーしたカルピスCMにも、創業者・三島海雲さんの想いが託されてたのかもです。
われわれ昭和世代には「初恋の味」として知られるカルピスですが、カルピスは、創業者・三島海雲さんの「愛の味」ということじゃないでしょうか~。
まさに、川内康範さんの『月光仮面』(月光仮面は、仏教思想をベースにしたヒーロー)を思わせる昭和ドリンクといえましょう。←よくわからない結論付け
というわけで、「初恋の味」の昭和ドリンク・カルピスのお話でした!
次回もまた、モア・ベターよ♪
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